Nozomi OKUHARA

攻め守り、攻撃と守備どっちが大事か論争について。
“攻撃は最大の防御“の意味を調べたら想像と違ってびっくり。言葉の難しさと限界を感じました。
攻め守り

今日は朝の散歩でこのテーマが浮かんできました。

最近は日常生活の大幅な見直しを行なっていて、
今朝はお膝のご機嫌が良かったので1時間ほどのお散歩に出かけました。

大幅な改善はいわゆる意識高い系の健康に良いことなのですが、体にいいからとか、健康に良いからではなく、自分の体の声に従って情報を集めてたどり着いた原点。
やってみるとどんどん体が変わっていき楽というか自然体というか、今の自分に必要なことがこれだったという感じです。

今は検証段階ですし、今の私が取り組んでいることが正解です的なことを言いたくないので詳細は控えます。

さて、
膝がご機嫌になって、散歩に出られるようになって、気分がご機嫌な中降ってきたこのテーマ。

昨日まで膝が調子悪くて、久しぶりに何していても嫌だし何もしていなくても嫌な状況で、でも、昨日のケアで大幅に改善されて今朝も調子が良い。

私自身ではどうすることもできないエラーでも、私の周りで支えてくれる方が私の体の現象に耳を傾け、向き合って良い方向に導いてくれることが私の心の支えにもなっている。

治るし良くなるという保証があるから、私は膝の機嫌が良くなくてもこの現象を1つの人生の中のワンシーンだと思って受け入れられているのかもとふと思った。
↑昨日の投稿でも少し触れたこの考え方
でも、良く考えたら別に一緒に戦ってくれる人はいるだけで絶対治る保証なんてなかった。
そこに信頼があるだけだった🤔

なんで、こんな考え方にたどり着いたのか。
自分でも不思議でしょうがなかった。

悪い現象なんて起きない方が良いし、良い事ばかりの方が気分が良いし何より楽である。

でも、もし、治らないかも、良くならないかも。という不安ばかりで、“良くなる“という逃げ道や支えという名の守りがないと、そう捉えることは難しいのかもとも思いました。

ここで私の中で出て来たのが、バドミントンでも良く言われる攻撃と守備どっちが大事論争。

守備があるから攻撃が活きてくる。
守れるから攻められる。

でも、ことわざにあるのは“攻撃は最大の防御“。

皆さん一度は本当かなと疑ったことはないでしょうか?

私も何度も考えを深めたことがあります。
結論は、一理あるけどリスクも高くね?です笑

今日はその先まで思考が深まりました。
というか、そもそも人生においての攻め守りって何?

良く言われる「挑戦した方が良い」「挑戦が大事」
果たして挑戦は攻めなのか。
そして、挑戦しないことが守りなのか。

そもそも何を根拠に挑戦というのか。
過去の自分?歴史?周りと比べて?

私はありがたいことにもバドミントン界のパイオニアと表現してもらうことが多い。

何度も振り返って、「なぜ」と問われても結局は自分がそうしたかったからに尽きないし、その選択をしたからありがたい今までの経歴がついて来たかもしれないが、全てたまたまだし、狙って出せた結果はほとんどない。

日本人初の記録なんて自分が出せるなんて1ミリも思ってもいなかったし、期待すらしていなかったし過去の記録なんて知らない事ばかりだった。

結局結果って、過去と比べたり、他人と比べた時のいっときのものである。
“結果が全て“って言われるけど、人生において結果なんて全て過去。

挑戦も過去と比べての比較だから極論別にどっちでも良いんじゃないかな。

自分がやりたければその道を選べば良いし、無理に挑戦する道を選ぶこともまた違う。

「挑戦という名の道はどれだ」
と考えれば考えるほど、“今“というこの大事な一瞬を逃してしまう。

人生において最も大事なことは“今”というこの一瞬。
今をおろそかにすることは、過去も未来もおろそかにすることに等しくなる。

結論、攻め守りなんてどうでも良いし挑戦した人生が輝かしいものになるとも限らない。

“今“を生きて、“今”を感じる。
“今”を全身で感じて経験することが人生を堪能することに繋がる。

自分の人生堪能できるのは自分だけ。

マルチタスク信仰大反対。
ながら〇〇もながらケータイももってのほか。
でも、今までの当たり前の習慣からなかなか抜け出せないのも事実、、、。

自分の尺度で“今”を感じ、残りの競技人生と人生、“今”を全力で生きていきたいなと今日の散歩で思いました。

アメリカは、土地が広すぎて、歩道があったりなかったり。
今日もよくわからない道を歩いては、道なき道を進むことも。

舗装されているところを歩いた後に、道ではない芝生の上を歩くと「歩きにくいなぁ。」と整っている道に感謝する。

整っている道がその先になくても、進みたい方向に歩みを止めずに前へ進むと、今度は舗装されてはいないが、人が通った形跡があるような道に出会う。

周りが思う“道“があってもなくても自分にとって進みたい方向に歩みを止めなければ、勝手に道になる。それが、たまたま舗装されていない道だった時に人はそれを「挑戦」と呼ぶだけ。

ぼーっと散歩するつもりが、いつもなんか考えてしまう。
別に誰にも求められていないのに思考が深まり勝手にアウトプット笑

帰ってきて「攻撃は最大の防御」の意味を検索したら、あらびっくり。
思っていた意味と全然違った。
結局大事なのは攻撃じゃなくて守備なんかい笑

言葉ってふと調べると自分が変なふうに解釈していたり、勝手にイメージしていることも多い。
だから、自分の頭や心の中のものを表したり、人に伝えることはもっと難しいし、全てを表現することは不可能だと最近感じています。

気になる方は是非自分で検索してみてください🧐

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