猿結び(E・N・M・U・S・U・B・I)

猿まわしの歴史です📚

みなさんはどれくらい知っていましたか?
猿まわしをもっともっと知ってくれたらうれしいな……🐵

たくさんの方に知ってほしいので拡散してくれたらうれしいな、、、
本日は、戦国時代・江戸時代の猿まわしについて記述したいと思います。

厄が去る、疫病が去る。なんて言われている猿まわしが、なぜそういわれるようになったのか、少しではありますがお話ししたいと思います。

【猿まわしの歴史】

江戸時代には、全国各地の城下町や在方に存在し、「猿飼」「猿曳(猿引、猿牽)」「猿屋」などの呼称で呼ばれる猿まわし師の集団が存在し、地方や都市への巡業も行っていました。

当時の猿まわし師は猿飼(さるかい)と呼ばれ、旅籠に泊まることが許されず、
地方巡業の際はその土地の長吏や猿飼の家に泊まらなければならなかったそうです。
江戸の猿飼は長吏頭弾左衛門の支配を受け、長吏たちと一緒に弾左衛門屋敷の近くに住んでいました。

弾左衛門の由緒を記した文書である『弾左衛門由緒書』に、猿飼と弾左衛門の関係について、おもしろい由緒が記されています。

「(徳川氏の関東)ご入国の時(1590〈天正18〉年)、(家康公の)お馬の足が痛んでいました。『祈祷のため猿引を』とお尋があったので、
私の先祖が支配下の猿引を連れてまいりましたところ、馬の病気が治りました。
それでご褒美のお金を頂戴しましたが、これを先例として毎年正月十一日に江戸城の御台所にてお金を頂戴しています。
西丸下の御厩でも御判ものを頂戴しています。また御納戸方からもお金を頂戴しています」
この記述が事実を記したものかどうかは分かりません。

しかし、少なくとも戦国時代の末期から江戸の猿飼と長吏が深い関係にあったことが分かります。

猿飼の芸は、もともとは馬の健康と、馬の飼い主である武士の武運長久を祈る祈祷でした。
猿は馬や牛の病気を祓い、健康を守る力をもつとする信仰・思想があり、
そのために猿飼は猿を連れ歩き、牛馬舎の前で舞わせたのです。

それが江戸時代中期以降は町人たちの楽しみの一つとして、
大道や広場、各家の軒先で猿に芸をさせ、見物料を取る「芸能」となったわけです。
(決して祈祷としての意味を失ったわけではありません)
江戸の猿飼たちの芸は、歌舞伎にも取り入れられました。

上記で記述したように、戦国時代末期ごろから馬や牛の病気を祓い、
健康を守る力をもつとする信仰・思想があり、徳川家などの武家で重宝されておりました。

皆様の住む町にも、昔は猿まわしがいたのかも...?
現在、日光さる軍団では土日祝日を中心に、全国各地で地方巡業をしております。
関東一円が中心となっておりますが、桜のシーズン、夏休みシーズン、紅葉のシーズンなどは、
南は九州から北は北海道まで、出張公演を行っております!
多くの方に、猿まわしを知っていただき、楽しんでもらいたいので、
桜の時期ココの場所おすすめだよ!というような情報もお待ちしております!

末永く、伝統芸能「猿まわし」をよろしくお願いします。

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