猿結び(E・N・M・U・S・U・B・I)

太郎次郎が猿まわしを復活させて43年。猿まわしの歴史、そしてこれからの猿まわしに思いを馳せてみませんか?
本日は猿まわしの歴史を少し紹介したいと思います。

猿まわしの歴史は古く、一説にはインドで3000年前にはすでに存在していたと言われています。その後シルクロードを通り仏教の伝来とともに日本には約1000年前に入ってきたそうです。江戸時代猿まわしは歌舞伎など他の芸能と違い特別扱いされるような職業でした。猿が馬の病気を治すと信じられており武士の時代縁起が良いとされ重宝されたのだそうです。
近代になり、人々の移動手段が馬から車に変わり、道路交通法の制定やインフラ整備により猿まわしは活動の場を失い急速に衰退していきました。そして昭和30年代についに一旦なくなってしまったのです。
その後十数年を経て、日本の放浪芸を復活保存しようと立ち上がった人達がいました。すでにお亡くなりになってしまいましたが小沢昭一さんや司馬遼太郎さん、永六輔さんなどです。猿まわしが最後まで存在した山口県光市に訪ねて来られ、当時議員として活躍していた村崎義正さんに「猿まわしを是非復活させましょう」と持ちかけたと言う事です。
村崎義正さんは当時17歳だった実の息子太郎(現在の日光さる軍団代表)に「猿まわしになれ」と話しました。太郎は突然父から「さだまさしになれ」と言われたと思い困惑したと後に話しています。

何はともあれそれがきっかけとなり一旦途絶えた猿まわしの糸はまた紡がれたのです。おさるの次郎とコンビを組み「太郎・次郎」として活動を始めた村崎太郎は20歳で上京し銀座の数寄屋橋交差点で大道芸を披露します。猿まわしを初めてみた人々は動物芸を超越した太郎次郎の芸に魅了され、大人気となります。その後太郎次郎のフジテレビ「笑っていいとも!」の出演をきっかけに猿まわしは全国的に知られるようになりました。太郎の元には猿まわし志願者も多く訪れるようになり、太郎次郎一門だけでなく日光猿軍団など色々な団体も発生し、近代猿まわしはエンターテイメント業界でその地位を確立していきます。その中でも平成3年度の文化庁芸術祭賞を村崎太郎が受賞した事は大きな功績だったと思います。受賞理由が「伝統芸を舞台芸術に昇華させた功績を認める」と言うものでした。その他にも村崎太郎はアメリカ合衆国や中華人民共和国で公演したり、動物芸としては世界初であろう「ハムレット」を公演したりと伝統芸能の枠を越え続けています。伝統を守ることはとても大切な事です。しかしそこに囚われ過ぎてしまうと時代を見誤り、本当の目的を達成することは困難になります。村崎義正さんと太郎次郎が43年前に復活させた「猿まわし」は、関わる方々の弛まぬ努力と情熱によって進化し、後世に残るエンターテイメントとして紡がれております。私たちは今後もそのバトンをつなげていかなくてはならないと考えております。

猿まわし師として学び、多くのお客様の前で猿芸の面白さ、ニホンザルの素晴らしさを発信し続けている芸人達がいます。劇場の舞台で所狭しと飛び回り、コミカルな演技で来場者を爆笑の渦に巻き込むおさるさんがいます。

是非一度日光さる軍団に足を運んでみてください。街中で大道芸を見かけたら少しでも立ち止まって見てみてください。
そしてこの「猿結び〜E・N・M・U・S・U・B・I」に興味を持って頂いた方は是非入会してみてください。そこがきっと猿まわしというエンターテイメントの入り口になりますよ。

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